みなさん、こんばんは!
香川県坂出市で活動しているアドラー心理学の自助グループの「たんぽぽ」です。
昨日、小学5年生の長男と一緒に、土鍋でご飯を炊きました。
これは、長男の家庭科の教科書に土鍋でご飯を炊く方法が載っていたからです。
1合分ぐらいを炊いて、家族で少しづつ分けて食べました。
芯も残らず、上手に炊けていました。
やはり、土鍋で炊いたご飯は美味しかったです。
それで、土鍋でご飯を炊いてみて思ったことがありました。
それは、「勉強とはつながり感じること」じゃないかなぁと思ったんです。
そもそも、現在は炊飯器でご飯を炊く人がほとんどです。
中にはご飯は土鍋で炊く人もいるかもしれませんが、
ほとんどの人は炊飯器ですよね。
それなのに、なぜ、土鍋でご飯を炊く方法が教科書に載っているのか?
それは、土鍋でご飯を炊く方法こそ、先人たちの生きる知恵だからだと思うんです。
大昔の先人たちは、電気もなく、火を使ってご飯を炊くのが当たり前でした。
だからと言って、今のように、ご飯の炊き方をクックパッドで調べるわけにもいきません。
そこで、ご飯の炊き方は自分の主に親から習ったはずなんです。
「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」
という言葉がご飯を上手に炊くコツだと言われて受け継がれています。
こういうふうにして、僕たちのご先祖様はご飯の炊き方を学んできた。
それを、僕たち親子も学んだ。
こういう繋がりを学ぶことが大切なんじゃないかと思いました。
これは、家庭科だけではなく、
たとえば算数もそうですよね。
国語も、理科も、社会も、音楽もそうだと思うんです。
全部、それまでは誰も知らなかったことを誰かが発見し形にしたものです。
本来勉強とは、過去の知恵を学び、
未来に繋げていくものではないかと思いました。
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